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zoom RSS 己れを愛するは善からぬことの第一なり 【西郷南洲翁遺訓解説】 第二十六条

<<   作成日時 : 2017/04/21 16:51   >>

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己れを愛するは善からぬことの第一なり。修行の出来ぬも、事の成らぬも、過ちを改むる事の出来ぬも、功に伐(ほこ)り、驕慢の生ずるも、皆自ら愛するが為なれば、決して己れを愛せぬものなり。

(大意)己れを愛するのは善からぬことの第一である。修行がうまく行かないのも、事業が成功しないのも、過ちを改めることが出来ないことも、功に誇り、驕慢の心が生ずるのも、皆自ら愛することに起因するから、決して己れを愛してはならない。

【解説】うぬぼれ(自惚れ)は翁が指摘するように悪徳の一つであり、公益に反する諸悪の根源と言っていいかもしれない。福沢諭吉は怨望、すなわち怨恨と欲望はあたかも衆悪の母のようなものだと言ったが、これが社会的にどのように作用するから衆悪の母だというのか。

 「凡そ人間に不徳の箇条多しと雖(いえ)ども、その交際に害あるものは怨望(えんぼう)より大なるはなし。…(中略)…独り働きの素質において全く不徳の一方に偏し、場所にも方向にも拘らずして不善の不善なる者は怨望の一箇条なり。怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様に由って我に不平を抱き、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するに非ずして他人を損ずるに在り。…(中略)…怨望はあたかも衆悪の母の如く、人間の悪事これに由って生ずべからざるものなし。疑猜(ぎさい)、嫉妬、恐怖、卑怯の類は、皆怨望より生ずるものにて、その内形に見(あら)わるるところは、私語、密話、内談、秘計、その外形に破裂するところは、徒党、暗殺、一揆、内乱、秋毫(しゅうごう)も国に益することなくして、禍の全国に波及するに至っては、主客共に免かるるを得ず。いわゆる公利の費をもって私を逞しうする者と言うべし。怨望の人間交際に害あることかくの如し。」(『学問のすゝめ』第十三編『怨望の人間に害あるを論ず』)

 福沢のこの論が出版されたのは明治七年十月であり、おそらく前年十月の征韓論破裂から、年が明けて正月十四日に起きた喰違門における岩倉具視暗殺未遂事件、二月の佐賀の乱を念頭に書いたと推理されるのであるが、今後起きるであろう混乱に対する予言ともなっている。西南戦争に至る経緯の理解に応用することもできる優れた洞察である。

 一方で、自己愛は人間の自然な感情として認めておく必要があるが、それをそのまま野放しにしておけば、福沢が指摘したように、公益を害する根源となるものであるから、工夫してこれを克服する必要がある。
 そのために、「我を愛する心を以て人を愛する」心がけをしてもいいし、煩悩を去ることを目的とする仏の教え、なかんづく禅なども有効だろう。現に南洲翁も若かりし日に禅の修行に励んだことがあった。この時、ともに参禅した大久保利通などは、南洲翁が西南戦争という失敗を犯し、身を滅ぼした要因を、禅を学んだことによって翁に生じた傲世の気風によるものと分析しているほどだ。
 人事に拘泥した大久保の物事への洞察の皮相さはここにも表れているが、それはさておき、私欲を去るということは儒教にも通底する姿勢であって、『論語』にも仁の端緒として人を愛することは説かれているし、私欲や私情にうち克つことを前提とする「克己復礼為仁」は孔子の奥義となる教えである。「心を養うは欲を寡なくするより善きはなし」とする『孟子』など、儒教の政治哲学の前提には、この私的な自己愛の克服があるのである。
 それをよくなしうる者が君子や志士仁人であり、それをよくなしえない者が小人であり人民である、というのが儒教における大まかな分類である。「王道的人民民主主義」はこの君子や志士仁人によって担われるのが前提であるが、デモクラシーは後者のなれ合い政治に堕しがちである。

 追記として、沖永良部島への遠島中の翁が、島の子供たちに無欲の大事さをわかりやすく説いた逸話を紹介することにしよう。これは『西郷南洲遺訓』の中の遺教に、「一家親睦の箴(いましめ)」として出てくる話である。

 翁、遠島中、常に村童を集め、読書を教え、あるいは問を設けて訓育する所あり。一日問をかけて曰く「汝等一家睦まじく暮らす方法は如何にせば宜しと思うか」と。
 群童対(こた)えに苦しむ。その中もっとも年長けたる者に操坦勁と云うものあり。年十六なりき。進んで答うらく、「その方法は五倫五常の道を守るに在ります」と。

 五倫五常とは、孟子の滕文公章句上に出てくる「父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼叙(序)有り、朋友信有らしむ」のことである。

 翁は頭を振って日ふ、
「否々、それは金看板なり、表面の飾りに過ぎず」と。
 因って、左の訓言を綴りて輿えられたりと。
「この説き様は、只当り前の看板のみにて、今日の用に益なく、怠惰に落ち易し。早速手を下すには、欲を離るる処第一なり。一つの美味あれば、一家挙げて共にし、衣服を製るにも、必ず善きものは年長者に譲り、自分勝手を構えず、互に誠を尽すべし。只欲の一字より、親戚の親も離るるものなれば、根拠する処を絶つが専要なり。さすれば慈愛自然に離れぬなり。」

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