西郷隆盛

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zoom RSS 古より君臣共に己れを足れりとする世に…【西郷南洲翁遺訓解説】 第一九条

<<   作成日時 : 2017/03/17 18:01   >>

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古より君臣共に己れを足れりとする世に、治功の上りたるはあらず。自分を足れりとせざるより、下々の言も聴き入るるものなり。己れを足れりとすれば、人、己れの非を言えばたちまち怒るゆえ、賢人君子はこれを助けぬなり。

(大意)古い昔から君主臣下ともに、統治者としての自己に満足している社会で、治功が上がったことはない。自分はつねに不足していると考えるからこそ、下々の言にも耳を傾けることができるものなのである。統治者として今の自己に満足していれば、批判を受ければすぐ怒るので、世の賢人君子はこれを助けなくなるものなのである。

【解説】政治は天下の人民を治める道であり、天道であるから、いくら優れた君主、忠臣であっても、彼らが神ならぬ人間である以上は、常に完全ということはあり得ない。常に天地自然という大きな存在や鬼神(神や先人の霊)に対し謙虚な姿勢が求められる。そうでなければ万物流転の人間社会のあらゆる事態に臨機応変に対応することはできない。
 そうであるにもかかわらず、己れの能力や仕事ぶりに、謙虚さを失って、驕り高ぶっているならば、そのことが油断となり、失敗を犯したり、足元をすくわれることになる。この時すでに、君主であれ、家臣であれ、世の賢人君子は彼を見離しているから、彼は堕ちるところまで堕ちるしかない。

 戦国時代の三覇者、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康は、天下の統治のために、ひたすら天道を畏れ、献身的に天下一統事業に取り組んだが、それでも信長と秀吉はその事業が軌道に乗ったところで自信過剰に陥り、大きな失敗を犯すことになった。前者は家臣の謀反、後者は「唐入り」という大事業の中で致命的な失敗を犯した。
 これを免れたのが家康で、彼もまた、ひたすら天道を畏れ、その晩年は統治の学問に謙虚に取り組んで、その事業の基礎をほぼ完成させたのである。ただし、それも前二者の事業を受け継いだればこその成功であった。

 その学問が、彼の作った安定した社会で隆盛を極め、その深化発展が維新回天の偉業を起動したのである。
 翁のこの言葉もその伝統の中から生まれたものだ。
 翁もまた、最後まで謙虚に学問に取り組んでいたが、わかっていたはずの翁でも、戦における正義や強さの自信はやや過剰のきらいがあり、この点においては足元をすくわれる結果となった。

 一方で人は自信がなければ困難と戦えないし、自信が過剰すぎては戦い抜けない。
 困難を克服し、敵らしき敵のいなくなった権力の絶頂で、この意識の平衡を維持できるかどうかは至難の業なのだろう。
 しかし、おそらくそこが国家百年の事業の基礎を築くことができるかどうかの分水嶺となるのである。
 そこで求められるのが至徳とされる中庸の精神なのであろう。

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