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zoom RSS 租税を薄くして、民をゆたかにするは… 【西郷南洲翁遺訓解説】 第十三条

<<   作成日時 : 2017/01/13 17:24   >>

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租税を薄くして、民を裕(ゆたか)にするは、すなわち国力を養成するなり。故に国家多端にして財用の足らざるを苦しむとも、租税の定制を確守し、上を損じて下を虐げぬものなり。よく古今の事跡を見よ。道の明かならざる世にして、財用の不足を苦しむ時は、必ず曲知小慧の俗吏を用い、巧みに聚斂(しゅうれん)して一時の欠乏に給するを理財に長ぜる良臣となし、手段を以て苛酷に民を虐げるゆえ、人民は苦悩に堪え兼ね、聚斂を逃れんと、自然譎詐狡猾におもむき、上下互いに欺き、官民敵讐となり、ついに分崩離析に至るにあらずや。


(大意)租税を安くして、民の生活を豊かにするということは国力を養成することに直結する。だから国家多端で財政難に苦しむようなことがあっても、定められた税制をしっかりと守り、上層階級の利益を損なうことがあっても、民の生活を脅かしてはならない。古今の事跡をよく見てみることだ。道が明らかではない時代、すなわち非文明的な時代、財政難に陥った時には政府は必ず屁理屈をこね回すこざかしい小役人を用いて、巧みに税を取り立てて、一時的な財政の欠乏を補填することができればそれで財政政策に長じた良臣と評価する。しかし、これは手段を択ばずに苛酷に民を虐げることであるから、人民はその理不尽な苦しさに堪え兼ね、税の取り立てを逃れようとして、自然、ずる賢くなって、お上を欺くようになるから、相互不信に陥って上と下が互いに欺き合うことになる。つまり、官と民は利害をめぐって敵讐関係となるから、行き着くところ、社会は秩序が崩壊し混乱状態に陥ってしまうだろう。


【解説】過度の増税は長期的に見て結果的に国力を消耗させる。平成二十六年四月の消費税の5から8%への増税が、景気を悪化させ、デフレ脱却に取り組んでせっかく経済を上向きにさせてきたアベノミクスを停滞せしめた事でも明らかだろう。あの時、世を時めく経済学者や評論家や財務省の官僚は、常識ではそんなはずはないのだが、ことごとく大丈夫だと安倍首相を説得して、消費税増税に踏み切らせた。まことに「理財に長ぜる良臣」たちだ。首相は騙されたことに激怒し、財務省に対立しかねない消費税再増税の延期を決意したという。言葉遣いは違うだろうが、本心では、曲知小慧の俗吏どもめ、とつくづく思った事だろう。

 租税の負担を軽くして、国民が豊かになれば、彼らの活動の幅は広がる。ただし、それが国力に直結するには、国民に愛国心がなければならない。売国行為を為してまで、自己の利益を追求する人間ばかりでは国力を養成するどころか国力がそがれることもありうる。
 例えば、お隣の中華人民共和国は、日本の10倍を優に超える人口と豊かな国土と資源を持ちながら、上に政策あれば下に対策ありと言われるほど互いに人間不信で、徹底した利己主義の国民性を持つ。その上に君臨する中国共産党はそういった国民に銃を突き付けて奴隷化しつつ、搾取した税収を治安警察と軍事に注ぎ込んでようやく秩序を保っている始末だ。そんなお隣中国の現状は日本の反面教師となろう。粉飾決算をしてようやく日本の国民総生産を抜いたと喜んでいるが、政府がいかに豊かであっても、国民が貧しければ、根の十分に張っていない大木であり、風が吹けばあっさり倒れかねない。少なくとも日本はそのような国ではない。
 海外で生活した人はよくわかると思うが、日本はいろんな意味で豊かである。税制も庶民にとっては苛酷ではない。その戦後の税制に大きな影響を与えたアメリカの租税法学者カール・シャウプは敗戦後の一九四九年、占領下の日本に、税制使節団を率いて来日し、GHQにいわゆるシャウプ勧告を行った人物として知られている。
 シャウプは社会主義的公正を目指して、平等思想に則った税制改革を勧告し、戦後の日本の税制は彼の多大な影響を受けている。現在の租税法の権威金子宏氏はシャウプの心酔者と言ってよい。
 彼はシャウプ勧告を概ね次のように評している。 
 改革主義(riformism)の要素を持ち、首尾一貫した理論体系に従って、一国の租税制度をデザインしたものであり、いわば壮大な実験だった。内容的に当時のアメリカにおける最新の租税理論であり、現行の租税制度に対する批判に富んだものであった。
 つまり、アメリカの現行制度に対する不満を、改革の情熱を、敗戦国日本で晴らしたのが、シャウプの勧告であったということである。これはアメリカで挫折し、GHQに紛れ込んだニューディーラーに多かれ少なかれ、共通した心理だった。
シャウプは共産主義の一派、フランクフルト学派の牙城コロンビア大学の教授として同僚数名を中心に使節団を組織して来日しているから、他の使節団同様、GHQの民生局に巣くっていたフランクフルト学派の影響を強く受けた社会主義者(ニューディーラー)たちと鼻息を通じて勧告を行った可能性もある。彼の租税法は格差是正や猛烈なインフレの中での資産再評価を進めるなどといった点で戦後の経済的復興に貢献した面も大きかったと思われるが、同様の意図でつくられた憲法同様、財産相続税や累進課税制度に顕著にみられるように、日本という国の本当の意味での復興の足かせとなっている面がむしろ大きいのではないだろうか。基本的にそれらは共産革命の準備段階としての伝統破壊の意図を内包する危険な改革であったのだ。

 しかし、日本人にとって事がそう単純ではないのは、日本のインテリが国際共産主義にかぶれたのは敗戦後に始まるのではないということである。戦前三度首相を務めた近衛文麿が、日本の敗色が濃くなっていた昭和二十年二月、自身の反省も込めて昭和天皇に対する上奏を行っているが、その内容は次のようなものであった。

 私はこの十年間、政治家として様々な階層の人間と接触してきたが、あとで考えてみると、満州事変や日華事変を惹起し、これを順次拡大して大戦へと導いたのは、軍部内の「左翼分子」「共産分子」の陰謀であった。軍部の革新論者を取り巻く一部の官僚や民間の有志は、左翼と言っても、右翼と言っても、國體論者を装うか否か、天皇を戴くか否かの違いはあっても、皆共産主義者であり、彼らに軍人が踊らされて、今日のような惨状を招いたのだ。私も彼らに踊らされた人間の一人であり、深く責任を感じている。
 現在右翼が一億玉砕を叫んでいるが、その背後にあって彼らを操っているのは共産分子である。

 その背景にあったのがスターリンの敗戦革命論(二八テーゼ)で、帝国主義、資本主義国家間で戦争を惹起せしめ、自国政府を敗戦に導く。その敗戦の混乱の中で、プロレタリア革命を成就せよ、というテーゼが、一九二八年(昭和三年)のコミンテルン第六大会で採択され、共産分子はこれを工作したのである。
 大正デモクラシーの中で、静かに共産主義思想は日本のインテリの中に浸透していった。例えば、昭和三年の張作霖爆殺事件も高級参謀河本大作の犯行とされてきたが、最近ソ連諜報機関の工作であった有力な証拠が出てきている。私は河本大作が当時共産主義思想にかぶれて、満州問題解決のために、ソ連諜報機関と共謀したのだと思っている。反共の張作霖の爆殺、満州の共産化こそ、満州の民族問題を解決しうる唯一の方策である、と彼が当時考えたとしても、決して不自然ではなかったと思うのだ。
 確かにこの事件が原因で昭和天皇の不信を買った田中義一内閣は倒れているから、これがもしコミンテルンの工作だったとすれば、非常に大きな成果を上げたことになる。こういった運動が積み重なって日本は敗戦に至ったのだ。
 一方、日本を開戦に追い込んだアメリカ大統領ルーズベルトも共産シンパであり、スタッフの中に多くのコミンテルンスパイが潜り込んでいたことが現在判明している。GHQのスタッフに多くの共産主義者あるいは社会主義者がいたことも、終戦後、共産主義運動が活発化することも決して偶然ではなかったのだ。一億玉砕が敗戦後、裏返されて一億総懺悔となったのだろう。いずれにしても全体主義的発想がなければ出てこない言葉だ。

 米ソ冷戦の勃発で、アメリカは態度を変えたが、共産主義者の工作は現在まで連綿と続けられている。
 彼らが最も破壊したかったもの、それは日本人の忠孝仁愛や愛国の精神であり、忠義敬愛の対象となる皇室のご存在であったと言っても過言ではない。外務省出身の共産主義者が、宮内庁に潜り込んで、皇室解体の策源地となっているのは非常に憂慮すべき事態だ。何度も仕掛けられる女系天皇容認論、女性宮家創設の運動がその現れだが、彼らのボスが雅子皇太子妃殿下の父、すなわち愛子内親王の外祖父にあたる外務省出身の小和田恆氏であることは非常に厄介であるし、それが戦争犯罪で天皇を人民裁判にかけることをもくろんできた中国共産党とつながっているなら、さらに危険である。

 すでに触れたように、忠孝仁愛教化は政事の大本である。もちろん、そのように国民を指導していかなければならない政事家や役人にその拐~が備わっていなければならないのは当然だ。今の日本に必要なのはそこだろう。

 さて、話を税のことに戻そう。
 要は、こういった世界史の大きな潮流の中で日本の国家改造は進められ、その一つとして、戦後日本の社会主義的な税制も定められたことを言いたかったのである。

 南洲翁の租税に関する思想の根底には『孟子』がある。
 孟子は悪徳の天子の追放・討伐を是認した、いわゆる湯武放伐論の中で次のような趣旨のことを述べている。

 古代シナの有名な悪徳の天子である桀と紂が天下を失ったのは、直接的には殷の湯王や周の武王に討たれたからであるが、本当の理由は民の心を失ったからである。それとは逆に、天下を得るにはどうすればよいかと言えば、そのコツは民の心を得ることであり、そのためには民の欲することを集約してこれを行い、悪むことを 施すことがないようにせよ、ということに尽きる。君が仁を欲すれば、王であることを望んでいなくとも、諸侯に推戴されて王にならないわけにはいかなくなるだろう。王にして仁に志す所がなければ、憂辱に怯えながら死を迎えることになろう。

 もちろん孟子が説きたいのは、だから君主は仁政を行い、臣下はこれを輔佐せよ、ということである。民が豊かであるということは、すなわち君主が豊かであるということになるからだ。
 この思想が税政に応用されれば、上記翁の発言は容易に理解されよう。民心の離反を招きかねない、民を虐げるような苛酷な課税および収税は戒められなければならない。それは天子が目指すべき仁政の趣旨に反するのである。  

 明治政府は廃藩置県の断行により、税制の近代化を図ることが可能になった。これまで物納で、藩単位で徴収されていた租税は、地租を定めてその3%を金納させることにして、税制の統一と税収の安定化が達成されたのである。これを中心になって推進したのが大蔵省であり、大蔵卿に就任したのが大久保であったが、彼は廃藩置県より数か月後には岩倉使節団の一員となって外遊してしまったため、井上馨が代理を務め、大久保たっての依頼により南洲翁が大蔵省の後見を務めることになった。
 井上は有能であったが、公私混同が著しい曲者であった。使節団送別の宴で、翁が井上に杯を差し出して、「三井の番頭さん」と皮肉ったのは有名な話だ。
翁が遺訓に言うところの民を苛酷に虐げる俗吏の例として最も適当な事件を起こしている。それがすでに触れた尾去沢銅山事件だ。
 江戸時代も末期になると諸藩の財政は苦しく、南部藩では御用商人村井茂兵衛から借金をしてその不足を補った。その際、慣例により証文においては形式上、お上である藩が村井に貸し付ける文言となっていた。維新後、銅山の採掘権は村井に移譲されていたが、明治四年、廃藩置県に伴う諸藩の財務整理を行っていた大蔵省は、その形式的文言に依拠して、村井に負債の返済を求めた。村井は事情を説明したが、大蔵省は聞く耳を持たず、返済が不能であることを理由に鉱山を差し押さえたので、村井は破産してしまったのである。これを強引に推し進めたのが、外遊した大久保に大蔵省を任されていた大蔵大輔の井上だった。井上は村井から強奪した鉱山を競売にかけ、同じく長州出身の岡田平蔵に払い下げた上、銅山の入り口には、「大蔵省」ではなく、「従四位井上馨所有」の看板を立てさせたというからあくどい。まるで時代劇に出てくる悪代官のようだ。
 村井は司法省に訴え、司法改革に鋭意取り組んでいた司法卿江藤新平が、これを藩閥政治打破の好機とみなし、井上追及に乗り出したことはすでに触れた。この頃、陸軍大輔の山縣有朋がやはり長州奇兵隊出身の商人山城屋和助に陸軍の予算を融通して大穴をあけるという、いわゆる「山城屋和助事件」を起こしていて、他にも三谷三九郎事件など、長州系官僚の汚職が世間を賑わせていた。翁が「道が行われないから退隠したい」と板垣退助に漏らしたというのはこの頃のことだ。遺訓の四条にも「今となりては、戊辰の義戦も偏に私を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して面目なきぞ」と言って、頻りに涙を催したとのくだりがあるが、これは長州を中心とする官人の腐敗汚職に失望しての発言だったのである。井上の汚職はその最たるものであったと言えるだろう。
予算問題をめぐって官を辞した井上は、一緒に辞職した渋沢栄一と同じく、商人としてやっていこうと考えていたらしいが(政商としてだろう。渋沢とはその志を異にしている)、この銅山に執着していて、政府の反対を押し切って、銅山視察旅行に出かけてしまうのである。彼が東京に戻ったのはいわゆる征韓論破裂、政変の直後であった。
 井上はまさに、翁が遺訓のこの条で触れているところの、民を手段を以て苛酷に虐げる曲知小慧の俗吏であった。
 翁の矛盾は、大久保から密かに託された大蔵省の後見人として井上を、また参議兼陸軍大将として山縣を庇わざるを得なかったことである。
 翁の漢詩の中にある次の一節はこのことを読んだものであろう。

「雁南窓を過ぐる晩、魂は銷す蟋蟀の吟、獄に在りて天意を知り、官に居て道心を失う…」
(魂は銷す蟋蟀の吟…コオロギの鳴く声に魂は滅入っていく)

 いわゆる征韓論主張の背景には、この、失われた文明の精神でもある道心を、己のみならず、政府官人に取り戻させなければ、との強い思いがあったことを忘れてはなるまい。いわゆる征韓論(私は「正韓論」と表現するのがその内容に即していると考える)の動機が自殺願望であるという主張は、悲劇というものを理解しない人の論であり、とるに足らない。悲劇というのは生命の充実、生命の過剰が生み出すものなのだ。
 政府の腐敗や堕落を回復する試みとは要するに維新の精神そのものではないか。

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