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zoom RSS 事大小となく、正道を踏み、至誠を推し… 【西郷南洲遺訓解説】 第七条

<<   作成日時 : 2016/11/25 16:48   >>

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 事大小となく、正道を踏み、至誠を推し、一時の詐謀を用うべからず。人多くは事の差し支ゆる時に臨み、作略を用いて、一旦その差し支えを通せば、跡は時宜次第工夫の出来る様に思えども、作略の煩いきっと生じ、事必ず敗るるものぞ。正道を以てこれを行えば、目前には迂遠なる様なれども、先に行けば成功は早きものなり。


(大意)どんな事でも、正道を踏んで、至誠を尽くし、ほんの少しであっても人を欺いてのはかりごとがあってはならない。人の多くは物事が差し支えるに及んで、人を欺いてのはかりごとを採用して、一旦その差し支えを乗り切れば、あとは時宜次第で工夫していけばなんとかなるように思えるけれども、作略の煩いがきっと生じて、事業そのものが必ず失敗に終わるものだ。正道を以てこれを行えば、うかつにして遠回りなように見えるが、長い目で見れば成功はむしろ早いものなのだ。


【解説】翁のこの思想は現代人にはそのまま受け入れにくいものではないだろうか。現代の常識では、支障があれば、機転を利かして、偽ってでもそれを乗り切る人物を利口、あるいは頭が切れるという。偽りの煩いが後で起きても、さらに時宜次第で工夫を凝らして乗り切れば、それで賢いという評価になる。西洋から学んだ政治哲学においても、目的を達するために、手段を択ばない、手続きを踏まない、というのは善である。いわゆるマキャベリズムがこれだ。むろん、これはこれで一つの見識だが、翁が問題にしていることと、われわれの関心は異なっている。問題としている事業の質がそもそも全く別物なのだ。

 晩年の翁が好んだ、南宋事功派の儒者陳龍川の言葉に次のようなものがある。

「一世の知勇を推倒し、万古の心胸を開拓す。」

 自分が持っている智と勇を尽くして、後世の人々の志気を奮い起こす、という意味である。「推倒」が世上誤訳されて伝わっているが、これは「推し倒れる」であるから、力の限り推し進んで倒れるところまで行くことであり、要は人事を尽くすという事になる。
 その行き着くところで待っている結末は、成功かもしれないし、失敗かもしれない。最悪の場合、悲惨な死であることもありうる。しかし、その最悪の場合であっても、後世の人の心胸、志気を奮い起こして、これに続くものが現れるかもしれない。
 幕末の志士に勤皇の鑑とされたのは南北朝時代の忠臣楠木正成だった。
 彼の行った忠義は、後世の志士たちの志気を奮い起こし、それに続こうとした幾人もの志士たちの犠牲の上に、討幕は成し遂げられ、王政復古の道筋はつけられた。
 同様に、自分も一世の知勇を尽くせば、そこに待っているのが悲劇であっても、後世これに続くものが現れて、その志は実現されるかもしれない。いや、そうあってほしい。彼ら志士たちの事業とはそういうものであった。己一個の成功で満足するような、そんな小さなものではなかったのである。

 ちなみに翁は肥後の菊池氏の末裔であり、菊池氏と言えば、南朝の忠臣として、楠木正成とともに戦った氏族だ。翁自身、安政の大獄の際、幕府の追及を逃れて奄美大島に潜伏した際、菊池源吾と名乗り、島で生まれたわが子に「菊次郎」「菊子」と名付けた事があった。そのことからも、自己の源泉(吾が源)に対する強い意識がうかがえるのである。翁の先祖の活躍は当時の志士の愛読書で、翁自身の愛読書でもあった頼山陽の『日本外史』に描かれていた。その菊池氏にしてから、氏族の起こりは、満州女真族による日本侵略である「刀伊の入寇」で、先祖に当たる藤原政則が外夷撃退、すなわち攘夷の功で、朝廷から肥後の菊池郡を賜ったことに由来している。つまり、翁の家系は朝廷に対する忠義と攘夷の系譜にあると言っていい。

さて、楠木正成の中興の価値規範となっていたのが、宋学、すなわち朱子学であった。先の陳龍川は、この朱子と同時代の儒者で、実際の交際もあったが、その理は精緻に過ぎるとして 批判的な学説を展開した実践的な豪傑学者であった。
 しかし、いずれにしてもその思想のモチーフとなっているのは四書である。
 翁もまた、この遺訓の中で、「堯舜を手本とし、孔夫子を手本とせよ」と言っている。
 四書のかなめとなる『論語』は孔子や弟子たちの言行録であるが、この書を通じて、彼の思想は海を渡って日本の約二千五百年後の後世まで読まれ続けている。日本の歴史の中に、孔子によって心胸を開拓され、「先王の道」に覚醒したものはあまりに多いのである。

 翁の言う大小の「事」とは、こういった文明を起こす事業全般のことを言っている。先人が想い描いて、受け継いできたわが国の在り方、すなわち國體を、國家存立の危機に直面する中で、実現し、これをを乗り切ろうと覚悟するなら、それは創業するのと同様に困難が伴う大事業であり、それにかかわる大小の事を行うにあたって、作略や詐謀があってはならない、正道を踏み、至誠を尽くせ、というのである。
 そして、こういった難事業を行うには、人材の結集が必要であり、前条のように世上の大半を占める小人たちの持つ豊かな才芸も活かさなけなければならない。さらに、そのような小人を活かすには己が徳を身につけて君子とならねばならず、そのためにも正道を踏み、至誠を推し、人事を尽くすことが必要となる。なぜなら小人は君子の徳風になびくからである。

 翁が言う作略によって一時の差し支えを通したとしても、あとあと生じてくる煩いの例を、翁の幕末の経験から挙げるなら、徳川慶喜という人物を挙げれば十分だろう。
 彼は百才あって一誠なしと呼ばれるほど、その智謀に一目置かれた。かつては翁が神と仰いだ英主島津斉彬などのいわゆる四賢侯(ほかに松平春嶽、伊達宗城、山内容堂)も彼を次期将軍に推したこともあったのである。その結果、安政の大獄は起きた。
 彼が一橋公として京の政局に登場してからの活躍は目覚ましく、やがて、攘夷思想を持ちながら親幕府の姿勢を崩さない孝明天皇の信頼を得て、勤皇派の敵と目されるようになった。彼がのちに徳川宗家を継ぎ、将軍となった時、木戸孝允は家康の再来と言って長州藩が関ヶ原の時のようにまたしてやられるのではないかと心底恐れたし、翁もまた、譎詐権謀の人と、ますます警戒したのである。このことで薩長の態度がますます硬化していったのは言うまでもない。以後、実は一誠あった彼の政治的言動は何一つ信用されることなく、その意に反して、政治的緊張は増幅していった。その末路についてはよく知られているので略すことにする。
 これに対し、翁は正道を踏み、狐疑反目しがちな藩の垣根を越えて、同志たちを糾合していったのである。例えば、いわゆる薩長同盟の際、木戸が龍馬たち土佐人に説得されて生命の危険を冒しながら上洛したのも、西郷という人物が相手なら、という事であったし、官軍が徳川討伐のため江戸に迫った際も、勝海舟は西郷だけを目当てにすることで、きわどく和談は成立したのである。
 翁の和歌、

【みだれたる 糸のすぢすぢ 繰り返し いつしか解くる 御世となりけり】

 は、正道を踏み、至誠を以て筋を通した結果、王政復古が成った感慨を詠んだものだろうか。しかし、正道を踏む、というのは不断の努力を要するものらしい。一つの歴史的に重大な詐謀が、このせっかく成った結束を破ってしまうことになる。
 いわゆる征韓論政変における大久保利通が為した、彼が「一の秘策」と表現する所の隠微な詐謀がそれである。
 いわゆる征韓論争は太政官における評議において、完全にいわゆる征韓派の勝利に終わった。かなり激しい論議が行われたが、最終的に、翁の大使派遣論に一決したのである。最後まで反対したのは大久保一人であった。反征韓派の真の目的が薩長閥を守るための江藤新平排除にあったのだから、難癖をつけるだけでは議論において真摯な征韓派に勝てなかったのは当然である。太政大臣三条・岩倉の意を受けて論陣を張った大久保は見捨てられ、三条に辞表を提出した。岩倉は病を理由に出仕しなくなった。ここで、孤立し、天皇への奏上の重責に耐えられなくなった三条が倒れて人事不省になり、そこで大久保は「一の秘策」を思いつくわけである。大久保は侍従に手をまわし、征韓派が天皇に直訴できぬよう事前の処置をしたうえで、太政大臣の代理を天皇から委任された岩倉が、非征韓派に都合の良いよう偽りの奏上を行う、というものであった。これによって翁の大使派遣は永遠に葬り去られたのである。
 翁は辞表を提出し鹿児島に帰ったが、これは後に語っているところによると、岩倉の不法行為、憲法違反を問題にしてのことであった。翁は岩倉が態度を改めるなら政府に戻ると言っている。一方、大久保に関しては、彼が徹底的に陰に隠れて秘策を行ったので、翁はこれに気づかず、問題にしていない。
 これで収まりがつかないのが、征韓論支持の兵士たちであり、在野の志士たちであった。
 大久保のこの作略の後の、時宜次第行った工夫が、佐賀の乱、萩の乱、神風連の乱、そして最終的に西南戦争へとつながっていく。内乱という大きな国家的煩いへの導火線となった。またいわゆる征韓論を埋め合わせるための対外政策、台湾征伐及びその後の対清外交、江華島事件に始まる対韓砲艦外交は、大久保自身は自画自賛しているようなところもあったが、これら東アジアのつき合いの難しい国に対日感情のこじれを惹起せしめた。みだれたる糸のもつれは、どうやっても解けないほどこじれて現代まで至っている。彼らが反日の看板を捨てることはよもやあるまい、と思われるほどに。

 また、たて続く内乱は国費を浪費し、翁をはじめとする多くの貴重な人材を日本は失う結果となった。さらには大久保自身が詐謀それ自体を理由の一つに暗殺される結末になったのである。
 利口で清廉、剛腕政治家であった大久保であったが、この結果だけからいえばまるで愚人のようである。富国強兵は新政府の国是であり、彼の専売特許ではなかったし、西欧視察から帰国してからの彼の政治哲学の欠如は、その迷走ぶり、乱脈な政治ぶりによく表れている。彼の事跡が、志ある人の心胸を開拓することはこれまであまりなかったし、これからもないだろう。その意志の強さやマキャベリストぶりを知的に弁護する人はあるだろうが…。

最後に遺訓のこの条に関して、作略を必要とする戦争という例外もあるが、これについては三十四条で解説することにする。

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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
初めてコメントさせていただきます。
いつも貴blogの含蓄ある内容には感動いたします。

1つお伺いしたいのですが、最近では幕末志士をテロリストと非難したり、明治維新•元勲方の偉業をこき下ろすような書物(例えば、明治維新という過ち、日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト)が出ていますがどう思いますか?
維新に興味がある日本人
2016/11/27 13:46
初めまして。
いつもブログをお読みいただきありがとうございます。

お尋ねの件ですが、そういった内容や題名の本は、そこに日本の歴史やそれを支えてきた先人への敬意が微塵も感じられないので読んだことはありませんが、「テロ」いう現代の価値観で過去を断罪して、善を為したつもりになって悦に入っている類のひとではないかと推察します。

 もちろん尊王攘夷、あるいは勤皇討幕運動の中に、テロリズムの要素があたことは否定しませんが、それは幕府が為したことに対する反作用の側面はなかったか、など、いろいろな視点からの考察があるかどうかが問題だと思います。 
哲舟
2016/11/27 14:44
 戦後の知識人の歴史観には、マルクス史観の影響が強く、中でもフランクフルト学派の影響は、マルクス主義ではない知識人にも甚大な影響を与えています。東京裁判史観やマスコミで流される情報の根底には、このイデオロギーが隠されていて、日本人の考え方を洗脳してしまっているのです。

フランクフルト学派とはレーニンなどの暴力革命論とは違って、その国の文化や伝統を破壊することを至上命題とする学問です。マスコミや学会や政界に影響を及ぼして、その国の歴史や伝統、あるいはそれに由来する物事を破壊し、第二段階で革命を起こそうという二段階平和革命論です。
外国などで学んだインテリや国際主義者のほとんどはこの病にかかっているから用心が必要です。それらの影響を受けて一般大衆も、日本の過去は悪いものであったと、なんとなく思わされています。

最近あった今上陛下の「生前退位」報道、女性宮家創設、女系天皇容認論、慰安婦報道、南京大虐殺、みな同根の問題です。

お挙げになられた表題の著作もまず、そういった国際的反日運動の一部を成すものだと思われます。明治維新がなければ、日本は西洋の植民地にされ、ということは西洋白人の世界支配に抵抗する国はなくなったということですから、それは一九四五年以前に達成され、世界中に白人以外の独立国家はなくなっていたであろう、ということです。

明治維新の結果出来上がった大日本帝国はいろんな矛盾、問題を抱えながらも、最後は立ち上がり、彼らの世界支配の野望を打ち砕いたのです。大東亜戦争がそれです。

簡単にですが、それが私の歴史観です。

哲舟
2016/11/27 14:45
ご返信ありがとうございます。

私も貴殿の意見に賛成です。当時の日本人に対する尊敬もなく非難することとタイトルには私も違和感を感じておりました。ましてや、国の危機が近づいているにも関わらず刹那的に今を楽しみ、我が国の行く末に無関心を決め込んでいる現代の日本人が、亡国を肌で実感し祖国を救おうと奮起した志士に対し「テロリスト」と非難するのは滑稽無糖です。幕末の幕府の対応に関しては知識不足なので何とも言えません。ただ私も維新は不可欠だったと思います。維新をしなければ我が国は徹底的な近代化に失敗し、清王朝の二の舞になったのではないかと思います(勿論、断言はできませんが)。明治維新とその後の近代化には伝統の断絶など負の面はありましたが、仰られたように我が国を存続させてくれた偉業はいくら誉めても誉め足りないと思います。我々がするべきなのは、明治の偉人に感謝しつつ彼らの失敗を正すことだと思います。

フランクフルト学派に関しては、GHQが仕掛けた二段階革命に関する本を読みましたので、存じ上げていますがなかなか厄介な敵だと思います。我々平成に生きている世代は過去からの断絶が酷く、日本人の心や伝統、日本の国体を忘れている状態にあります(貴殿が仰られた御皇室に関する問題はまさにこの危機の結果だと思います)。何とかして過去や歴史との繋がりを下に戻すべきですが、迂闊に急げば戦前の昭和の二の舞(異常な「天皇親政」を国体であると主張するなど)になりかねません。かといって、米国の衰退、支那の暴走によりうかうかしていられない状況にあります。このジレンマを打開する力が今の我が国にあるのか不安で仕方ありません。
維新に興味がある日本人
2016/11/28 20:33
貴方の仰ることに全面的に賛同いたします。

病識がないと病気は根本的に治らないのと同じで、われわれのように病識を持つ日本人が一人でも増えて、その上で各々ができることをやっていかないと何も変わりません。病識を持った安倍首相でさえ、あのような内容の戦後70年談話や慰安婦合意を為さざるを得ない国際政治の力学を考えると、正気に戻った国民輿論が政治を突き上げていくことでしか、この困難を乗り越えることは難しいと思います。

特にネットを使い慣れた若い人を目覚めさせることは大切だと思います。


哲舟
2016/11/29 14:48
ご返信ありがとうございます。

安倍首相は確かに左翼政治家に比べたら100倍マシですが、どこか頼りない面(女性の社会進出推進、かつて憲法改正緩和、一院制に賛成していたことなど)があり警戒していたので、近年の支韓露に対する外交や70年談話に関しましても、さもありなんとの感想を抱いてしまいました。ただ、元々樺太や千島列島まで含んだ意味を持った北方領土を4島だけと思う勘違い、大東亜戦争に関する嘘を伝え続け、当初から嘘と言われていた慰安婦•南京大虐殺を否定せず「事実」にしてしまった我が国の長年の愚昧さを、安倍首相一人に押し付けるのは酷ではあります。しかし、それでも安倍首相にはもう少し頑張ってほしかったです。

若者に関しては不安ですね。私の周りを見るとグローバリゼーションや個人主義、左翼思想(平等主義、人権主義など)に毒された人間ばかりで、日本人はいなくなったような気がします。このままだと日本を復活させる「日本人」そのものが消滅するのも時間の問題です……。
維新に興味がある日本人
2016/11/30 20:02
全く同感です。
小生は戦後生まれです。もう若くはありませんが、どうやら絶滅危惧種のようですね。
 絶滅するのが運命なら、自分の為すべきことを為してほろぶとしましょう。
 南洲翁の史伝を上梓してから八年間温めてきた國體論を今まとめているところです。
哲舟
2016/12/01 08:38
私は平成生まれで左翼教育を受けた世代ですが、日本史好きな親の影響によりいつの間にか自虐史観から脱していました。滅亡が近づきつつあることを感じますが、それでも、「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も」を旨に祖国を守りたいと思います。
西郷隆盛の國體論には興味がありますので、頑張ってください。今の時代に必要なのは坂本龍馬などではなく西郷隆盛だと思います。不思議なことにこういったことを学び現実との違いに絶望する一方、何とか祖国に貢献したいと思うものです。これがやむにやまれぬ大和魂なのかもしれません。
維新に興味がある日本人
2016/12/01 19:12
こんにちは。

西郷隆盛の國體論は次の遺訓第8条の解説で少し触れますが、今完成を目指しているのは西郷隆盛という大人物を生んだ日本の國體と表現した方が適当でしょう。

平成生まれのお若い方に、このようなしっかりした認識をお持ちの方がおられるというのは、とても希望が持てることです。

やむにやまれぬ大和魂

ともにできる限りのことをしましょう。
哲舟
2016/12/02 12:20

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