西郷隆盛

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zoom RSS 万民の上に位する者… 【西郷南洲翁遺訓解説】第四条

<<   作成日時 : 2016/10/31 17:01   >>

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万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思う様ならでは、政令は行われ難し。然るに草創の始めに立ちながら、家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾を抱え、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられまじきなり。今となりては、戊辰の義戦も偏に私を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して面目なきぞとて、頻りに涙を催されける。

(大意)万民の上に立つ者は、己を慎んで、行いを正しくして、驕りの心や贅沢を戒めて、質素倹約に努め、自分の職務を果たすために献身的に取り組んで人民の模範となり、下々がその勤労ぶりを気の毒に思うほどでなければ、自発的な協力を得ることはできず、面従腹背となって、政令は行き届かないものである。そうであるにもかかわらず、今、維新創業の始まりに立ちながら、さっそく私生活において、虚飾に走り、欲に任せて放縦に振る舞うならば、維新の功業は遂げられるはずがない。今となっては、戊辰の義戦も偏に私利私欲を満たすだけの姿に陥り、天下に対し、戦死者に対し面目ない、と翁はしきりに涙をもよおされた。

【解説】翁にとって、討幕は、わが國體の原点に立ち返って、政権を一途に帰するための正義の戦いであった。戦死者は義に殉じて名誉の死を遂げた英霊たちである。しかも翁の認識では、本来の目的である王政復古、すなわち天皇政治の再興は、万国対峙の国際情勢下においては討幕よりもさらに難事業である。であるにもかかわらず、明治政府には、利を貪り、蓄財に励み、美しい妾を抱え込み、驕奢に満ちた生活をしている輩が多くいる。戊辰の義戦もこの結果からさかのぼって考えれば、怨望から来る私戦であったとみなされてしまうであろう。これでは人民は不平不満を懐いて、政府を信頼せず、面従腹背となって、政策はその目的を達成し得なくなってしまう。だから討幕以上の難事業であるところの、王政復古事業の成功は困難である。
 『論語』に孔子は「政は正なり」と言い、「子帥(ひき)いて正しければ、だれか敢て正しからざらん」と言っている。また、「君子の徳は風なり、小人の徳は草なり。草、これに風を上(くわ)えれば必ず偃(ふ)す」という。(ともに「顔淵」)
 日本における理想の武家政治の伝統は、儒教のこの思想を取り入れたもので、西欧の政治思想とは異質なものである。
この思想から言えば、明治四年から五年頃の井上馨に象徴される長州系官僚の腐敗には目を覆うものがあり、王政復古事業の障害になりかねないということになる。
慧眼な勝海舟は、長州人は天下を取るために金を稼ぐが、薩摩人は金を得るために天下を稼ぐ、と評しているが概ね両者の性質の違いをうまく表しているように思える。
この違いを藩閥政治打破の突破口にしようとしたのが肥前佐賀藩出身の官僚江藤新平で、どちらかと言えば質朴な薩摩人集団の親分である南洲翁の庇護下で事を進めようとした。
これによって長州閥は深刻な政治危機に陥った。長州閥の中心的存在であった木戸孝允とそれをよりどころにしていた伊藤博文の危機感には相当なものがあった。これを救おうとしたのが、薩長閥こそ明治政府のかなめであると認識していた大久保利通であり、岩倉具視であり、三條実美であった。彼らが公正であり得たのは、この前提が揺るがない限りにおいてである。だからこの根底が揺るがされた時、彼らは違法行為までして、藩閥を守ったのである。それがいわゆる征韓論破裂であり、その大きすぎる余波が、西南戦争、そして大久保の暗殺でようやく終焉する政府の迷走と内乱の数々であった。怨望が日本の正気を覆った時代と言っては言い過ぎだろうか。
この時代の大久保をマキャベリストとして、政治家として高く評価する知識人は多いが、本当に彼の事跡を理解したうえでそう評価しているのか疑問である。富国強兵は開国以来の既定路線であり、大久保ら「非征韓派」と「征韓派」に属した参議たちの違いは、その方法論や着手順序の違い、あるいは西欧文明の取り入れに対する態度の違いでしかなかったのである。「非征韓派」の征韓反対論は「内治優先論」とされるが、彼らとて、征韓そのものに反対ではなかった。現に、後に「台湾征伐」を行い、「江華島事件」と言われるペリー方式の征韓を行って、以降の官僚政治の先例を作ってしまった。
彼らの党派意識が、やらなくて済むはずの内乱を誘発し、多くの国費を浪費し、貴重な人材を無駄に殺してしまう結果になったのである。王政復古事業はここで最大の危機に直面したと言っていいのではないか。その反省が明治政府の軌道を大きく修正させた面もあったが、修正されぬままになって、戦前・戦中・戦後にそのまま引き継がれていった面も決して少なくはなかったように思われる。
つまり南洲翁が指摘した私的な怨望に突き動かされた品行悪しき人間が、日本本来の政治再興の妨げになっている現状は、当時も今も変わらない。そういう視点を忘れてはいけないと思う。

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