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国体論者としての山陽…頼山陽 A (「江戸期の学問の大河」 その十三)
 頼山陽の代表的二著作『日本外史』『日本政記』は後世に大きな影響を及ぼした。  維新回天に大きく貢献するのみならず、彼の国体観から導かれた統帥権の問題は日清、日露と続く、明治日本の軍事的成功に大きく貢献し、明治憲法に規定された統帥権理解・運用の前提知識となっていたし、これを忘れた昭和の指導者たちの「統帥権干犯」問題という混乱を引き起こす基となった。 ...続きを見る

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2016/08/30 17:21
名文家としての山陽…頼山陽 @ (「江戸期の学問の大河」 その十三)
老中を辞した松平定信は、白河藩の藩政に専念し、善政を行って領民に名君として慕われたが、文化九年(一八一二)、家督を長男に譲って、隠居生活に入ってからは、藩政を掌握しつつも、楽翁と称し、文芸を愛し、花鳥風月を楽しみながら悠々自適の生活を行っていた。  文政十年(一八二七)、六十八歳の時、ある文士の名声を耳にし て、その著作を求めた。  頼山陽の『日本外史』である。 ...続きを見る

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2016/08/24 17:03
藤田東湖…後期水戸学 B (「江戸期の学問の大河」 その十二)
 藤田東湖は幕末、水戸藩公の懐刀として活躍し、戸田篷軒と並んで水戸の両田と称された。幕末の水戸藩を代表する人物の一人である。  東湖は幽谷の次男であるが、長男が早世したため、嗣子として育てられ、この偉大な父からは大きな学問的影響を受けた。文政七年、イギリスの捕鯨船員が大津浜に上陸した際には、父からイギリス兵を斬るよう密命を受け、死を覚悟したことがあった。 ...続きを見る

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2016/08/20 16:33
会沢正志斎…後期水戸学 A (「江戸期の学問の大河」 その十二)
 藤田幽谷は水戸学中興の人物であった。  われわれが幕末を動かした尊王攘夷運動の源泉としての水戸学として想起する思想内容は、幽谷とその弟子たちによって作られたものを指すが、その代表的なものが会沢正志斎『新論』であり、徳川斉昭『弘道館記』であり、これを説明補足した藤田東湖『弘道館記述義』である。これらの書物は志士たちに広く読まれた。 ...続きを見る

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2016/08/16 16:44
藤田幽谷…後期水戸学 @(「江戸期の学問の大河」 その十二)
 定信が幕政改革に従事した頃の水戸学の質的変化について話を移していきたい。 ...続きを見る

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2016/08/11 16:35
定信の出処進退…松平定信の異端禁制 C (「江戸期の学問の大河」 その十一)
 これまで見てきたように、尊号事件は、すでに家康以来二百年近い徳川家の学問的伝統を背景に持つ定信の徹底した朱子学的リゴリズムが、儒学を大らかに受容してきた、徳川家よりはるかに長い歴史と伝統を持つ朝廷を咎めた事件であった。 ...続きを見る

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2016/08/05 17:09
高山彦九郎の場合…松平定信の異端禁制 B  (「江戸期の学問の大河」 その十一)
尊号事件の処分が終わった頃、一人の草莽の尊王家が自害を遂げている。  林子平、蒲生君平と並んで、寛政三奇士と称された高山彦九郎である。 ...続きを見る

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2016/08/01 16:33

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西郷隆盛 2016年8月のブログ記事/BIGLOBEウェブリブログ
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