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zoom RSS 昭和天皇の人間宣言!ではなくて、新日本建設の詔

<<   作成日時 : 2015/08/11 18:04   >>

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遅ればせながら、加藤康男氏の『昭和天皇 七つの謎』を読んだ。

冒頭第一章は「『四方の海』は替え歌だった」で、巷間伝えられる御前会議における昭和天皇によって詠まれた明治天皇の御製が、実は替え歌だったとの説が、歴史学の基本に則って検証されている。

 加藤氏によれば、明治天皇が日露戦争時に詠んだとされる御製「四方(よも)の海 みな同胞(はらから)と 思ふ世に など波風の 立ちさわぐらむ」が御前会議でそのまま詠まれたわけではなく、「波風」を「あだ波」と替えて詠まれた、というのである。

 問題は、一つは、替え歌を詠んだ昭和天皇の大御心であり、もう一つは、大した検証もなく、単に引用しただけとしてきた、いわゆる昭和史研究家とされる人たちの真意である。

 前者については本を読んでいただきたいが、後者については、昭和天皇は平和主義者であり、悪いのは軍部であった、とする戦勝国の洗脳史観「東京裁判史観」を受け継いでいる知識人たちが、天皇の発言を政治的に利用しようとしている、との指摘である。
 こういったリベラルの論者を、ビンの蓋、というそうだが、この本を読めば、彼らの意図やその背景となっている国際政治勢力が浮き彫りとなってくるから面白い。

 加藤氏は今年公刊が開始された宮内庁編纂の『昭和天皇実録』にも同様の疑義を呈しておられる。そもそも宮内庁幹部は各省庁出身者で、皇室への忠義心という点で不安がある。非常に政治的な一面があるのだ。


 次に興味深かったのは、第三章「天皇周辺の赤いユダ」である。
 「赤いユダ」とは天皇周辺、あるいは政府や軍部中枢にもぐりこんだ共産主義者・社会主義者で、親ソ連派のことである。
 この戦慄すべき事実が、いわゆる近衛上奏文を軸に論述されている。
 戦前日本が舵を失った漂流船のように、破局に向けて進んでいった背景に、彼らの陰謀を想定すると実に腑に落ちる点が多い。日本はアメリカのようにマッカーシズムもなかったし、ヴェノナ・ファイルも存在しないから不明な点も多いが、これからの研究の進展が待たれるテーマである。
 日本を破局という滝つぼに誘導して行ったのは、アメリカ内部ではルーズベルト政権にもぐりこんだソ連のスパイであったが、日本内部にも、この諜報網が構築され、深く浸透していたのである。ゾルゲ諜報団は有名だが、まだまだ明らかにされていないことが多いのである。
 戦前の長きに亙って首相を勤め、彼らの謀略に翻弄された近衛文麿自身の罪の告白でもある上奏文は十分検討に値する。
 

 また最終章「皇居から聞こえる讃美歌」は藩屏を失って丸裸にされた皇室が、自ら進んでキリスト教を学んで取り入れようとした事実が記されていて、マッカーサーの日本人へのキリスト教への改宗政策がここまで来ていたのかと、ひやひやする思いで読んだ。

 日本は敗戦後にこそ、まったく根源的な危機状況に直面したのであり、だからこそ、特攻までして戦わなければならなかったのだ、と逆に腑に落ちる。戦後の洗脳を受けた者たちより、またいわゆる昭和史研究家達より、彼らが馬鹿にして見下している戦前の人たちのほうが、よほど明確に、この根源的危機を認識していたのだ。



 この本を読んで一つ気になったのは、第四章「『神』と『人間宣言』の狭間で」で、加藤氏が前回も触れた「新日本建設の詔書」を「人間宣言」として受け止めてしまっている、という点である。プロフィールによると加藤氏は昭和十六年、開戦の年に生まれている。つまり、敗戦当時、まだ幼児だったわけで、物心がついたときはすでに戦後社会真っ只中であった、ということになる。
そういった世代にとって、「人間宣言」は抜きがたい固定観念となってしまっているのかもしれない。それだけ、戦勝国や敗戦利得者の宣伝は、年少の日本国民に衝撃をもって受け止められたということになるかもしれない。
 
しかし「現人神」と同義の言葉「現津神(あきつみかみ)」が小学校の国定教科書に登場するのはようやく昭和十六年になってからであり、大東亜戦争を戦った大人で天皇を絶対神として捉える人間はごく一部を除いてほとんどいなかったといってよい。「人間宣言」などしなくても、天皇ひいては「現人神」が人間を表す言葉であることは自明だったといってよい。

 山本七平が敗戦でフィリピンで捕虜になったとき、アメリカ人情報将校がしきりにダーウィンの進化論を説いて、天皇が猿から進化した人間であることを説くので、山本が、そんなもの(進化論)は学校で習うから日本人は誰でも知っている旨を答えると、非常に驚いて、ではなぜ日本人は天皇を神として崇めるのだ、と詰め寄ってきたという。
 西洋の絶対神「ゴッド」を「神」と誤訳したことによる神観念の混乱が事態をややこしくしている。(そもそも誤訳はヘボン式ローマ字で知られるヘボンが、聖書を日本語に翻訳するさい、「ゴッド」を漢語の「神」に訳して、日本人がこれを大和言葉の「かみ」と訓じたところに端を発するらしい。)
 つまり、「人間宣言」は、この時期からつい20年ほど前まで、人間は神の創造物か、サルから進化したのか、いわゆるモンキートライアルで世論が割れたアメリカ人の偏見が生んだ幻想だったことになる。アメリカでは戦後もこの問題は蒸し返されているらしいから何をかいわんやである。

 詔書のいわゆる【人間宣言】のくだりは、後に昭和天皇が朝日新聞のインタビューにお答えになられているように、二義的なものであり、その直前に「神道指令」を発令したばかりのGHQ の要請に応えるための付け足し、いわば蛇足の部分である。ここに詔書の焦点を置くことは叡旨の矮小化、卑屈化に他ならない。
 これは詔書全体を熟読玩味すれば明らかなことだ。

 ここで問われているのは、あくまでも皇室の在り方ではなく、国語の問題、すなわちわれわれの日本人としての読解力であり、言語感覚である。



 次に全文を掲げておく。


「茲(ここ)に新年を迎ふ。顧みれば明治天皇、明治の初、国是として五箇条の御誓文を下し給へり。

 曰く、

 一、広く会議を興し万機公論に決すべし
 一、上下心を一にして盛に経綸を行ふべし
 一、官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦まざらしめんことを要す
 一、旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし
 一、智識を世界に求め大に皇基を振起すべし

 叡旨公明正大、又何をか加へん。
 
 朕は茲に誓を新にして国運を開かんと欲す。須(すべか)らく此の御趣旨に則り、旧来の陋習(ろうしゅう)を去り、民意を暢達(ちょうたつ・・・のびのび育てること)し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、以て民生の向上を図り、新日本を建設すべし。

 大小都市の蒙りたる戦禍、罹災者の艱苦(かんく)、産業の停頓、食糧の不足、失業者増加の趨勢等は、真に心を痛ましむるものあり。然りと雖も、我が国民が現在の試錬に直面し、且徹頭徹尾文明を平和に求むるの決意固く、克(よ)く其の結束を全うせば、独り我国のみならず、全人類の為に、輝かしき前途の展開せらるることを疑はず。夫れ家を愛する心と国を愛する心とは我国に於て特に熱烈なるを見る。今や実に此の心を拡充し、人類愛の完成に向ひ、献身的努力を効すべきの秋なり。

 惟ふに長きに亙れる戦争の敗北に終りたる結果、我国民は動(やや)もすれば焦燥に流れ、失意の淵に沈淪(ちんりん)せんとするの傾きあり。詭激(きげき・・・言行が度を越えて激しいこと)の風漸く長じて、道義の念頗る衰へ、為に思想混乱の兆あるは洵(まこと)に深憂に堪へず。

 然れども朕は爾等(なんじら)国民と共に在り。常に利害を同じうし休戚(きゅうせき・・・喜びと悲しみ)を分たんと欲す。朕と爾等国民との間の紐帯(ちゅうたい)は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず。天皇を以て現御神(あきつみかみ)とし、且日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延(ひい)て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものにも非ず。

 朕の政府は国民の試錬と苦難とを緩和せんが為、あらゆる施策と経営とに万全の方途を講ずべし。同時に朕は、我国民が時艱(じかん・・・直面している難問)に蹶起し、当面の困苦克服の為に、又産業及文運振興の為に勇往(ゆうおう・・・勇敢に進んでいくこと)せんことを希念す。我国民が其の公民生活に於て団結し、相倚(よ)り相扶(たす)け寛容相許すの気風を作興するに於ては、能く我至高の伝統に恥じざる真価を発揮するに至らん。

 斯の如きは、実に我国民が、人類の福祉と向上との為、絶大なる貢献を為す所以なるを疑はざるなり。一年の計は年頭に在り。朕は朕の信頼する国民が朕と其の心を一にして、自ら奮ひ、自ら励まし、以て此の大業を成就せんことを庶幾(こいねが)ふ。


  御  名  御  璽
  昭和二十一年一月一日 」





 詔書の内容を敷衍する意味で、昭和五十二年の夏、那須御用邸における記者会見での御言葉を紹介しておこう。


 記者
「二十一年年頭に出された神格否定の詔書について、今年公開された日米の外交文書などGHQの草案があったとされていますが、…」

 陛下
「そういう問題については、今、批判的な意見を述べる時期ではないと思います。」

 記者
「詔書のはじめに五箇条の御誓文を入れられたのは陛下ご自身のご希望でしょうか…」

 陛下
「それが実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。当時アメリカその他諸外国の勢力が強く、日本が圧倒される心配があったので、民主主義を採用されたのは、明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す必要があった。日本の国民が誇りを忘れては非常に具合が悪いと思って、誇りを忘れさせないためにあの宣言を考えたのです。」



 確かに昭和二十一年初めの歌会始で、昭和天皇は「松上雪」との題で次の御製を読まれている。


 ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松そををしき(松ぞ雄々しき) 人もかくあれ


 大御心を理解せず、「人間宣言」と言い募る日本人は、ふる積もるみ雪に耐えかねて、色をかえた、雄々しき松たりえなかった人々ということになろう。

 

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