西郷隆盛

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zoom RSS むしろ被差別、被侵略国であった日本 尾崎秀実の「八紘一宇」 (四)

<<   作成日時 : 2015/04/06 08:39   >>

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 今年で戦後七十年。
 あの戦争の意義を正確に知らずに、戦勝国の言い分を安易に受け入れてペコペコ謝るばかりでは、英霊はもちろん、犠牲者の霊も浮かばれない。

 自民党の高村正彦副総裁は三月下旬の訪米時にブリンケン国務副長官と会談し、慰安婦問題に関して「韓国とは法的にも政治的にも決着をつけたが、何度も蒸し返され、日韓関係が大切だと思う私たちでも相当くたびれた」とこぼしたというが、これはこの問題に携わった良心的な人々の率直な感想だろう。
これは韓国の慰安婦問題のみならず、北朝鮮、中国との歴史問題にも言えることだ。

 日本人差別がアイデンティティーとなっていて、劣等感とは裏返しの優越感に浸るため、また政治的譲歩を、金を引き出すために、事実を歪曲・捏造し、これに因縁をつけてくる相手に対し、それでも「粘り強く話し合う」と高村氏は述べたそうだが、根本認識が間違っている以上、粘り強く話し合ったとて、埓のあく問題ではないだろう。
 われわれとしては事実を世界に向け淡々と発信していくほかないが、それでもこれまでの交渉史から得る教訓は、結局のところ、友好関係を恒久的に築いていく意思も能力も、日本にはあっても、かの国々にはない、というところにあるのではないか。
 口で友好を唱え、全ての責任を日本に押し付ける相手に、対等な友好関係など望めるはずもない。
 それが戦後七十年の友好史の結論として、そろそろ日本国民のコンセンサスとなっていい頃だと思う。


 さて、七十年前の東アジアの状況である。
 膨大な地域と十億の巨大なる人口を擁しながら、わずかに日本一国を除いて、西洋列強の植民地ないしは半植民地という悲惨なる地位に沈淪していた東アジア諸民族は何とかしてこの状態を脱しようともがいてきた。
 
 尾崎秀実はそれを達成するための条件として、東亜を奴隷的地位に陥入れている最大なる支柱英米を打倒するということ、東亜がまず相倚ってこの目的のために統一的勢力となること、という二点を挙げている。

 そして、彼は、それまで彼ら共産主義者が見誤ってきたことを次のように述べている。


「…しかも特記しなくてはならない点は、この重大なる二点が我々が従来評価計算に入れることのほとんどなかったいわば精神的な要素であるという点でありました。以上の二点に比すれば他の種々なる物的条件は遥にその重要性が劣っていることを認めざるを得ないのであります。
 以上の二点、すなわち日本国民の異常なる結合力および大東亜戦争目標の絶対的な正しさ、というものは実に日本民族、日本国家そのものの存在に密接不離に内在しているという事実を改めて認識せざるを得ないのであります。…(中略)…一言にしていえば、日本の国体そのものの持つ偉力に他ならないということであります。」



 物的条件に対する配慮、実証精神をを欠いた精神主義が駄目であるにしても、精神的要素を欠いた唯物主義もまた思想的な欠陥品である。

 尾崎はその見落としてきた精神を次のように説明している。

 まず「日本国民の異常なる結合力」について…


「…何千年何万年の長い間、我々の祖先が生れ、かつ死んで来た、この美しい国土、そこに連綿として万世一系統治し給う天皇の在しますこと、この意識に基づいて日本国民は、天皇の御命令一下今や最後の勝利の日までこの国土防衛の聖戦を戦い抜くことに、生きがいを感じているのであります。それは何程とも測り難い大きな団結力を生んでいるのであります。」


 次に「大東亜戦争目標の絶対的な正しさ」について…



「大東亜戦争に力強く掲げられ、現にはかり知るべからざる威力を発揮しつつある戦争目標、すなわち東亜共栄圏の完成、あるいは『万邦をして各々その処を得せしむる』というがごときことは、実にこの大東亜戦争なり、あるいはその以前の支那事変によって始めて新たに加えられた標語というごときものではありません。誠にわが建国以来の精神そのものであり、国の成り立ちそのものに外ならないのであります。『まつろわぬものをしてまつろはしむ』る断乎たる威力、しかも『八紘を宇となす』大理想は我が神話、伝説的建国以来の大精神大理想であります。それが今日世界史的転換の一大時期に当たってそのまま発動しているのであります。」


 ここに「八紘一宇」が出てきた。

 それは彼の解説を読めば明らかなように、「万邦をして各々その処を得せしむる」という精神に基づくもので、決して他国侵略の意図を秘めたものではなかった。
 その点、西洋や共産主義勢力の他国侵略目的のスローガンとは異なるのだ。もっとも、スローガンをそのように使用してきた彼らが日本のスローガンをそのように勘ぐったとしてもむりもないのだが。

 
 三年ぶり、 三月二一日の日中韓外相会談においても、中国外相・王毅らは今夏発表予定の戦後七十年談話を牽制するつもりからであろうが、毎度お決まりの「歴史認識問題に真摯に向き合え」だの、「歴史を直視して、未来を切り拓け」だの、「過去を清算せよ」だのと述べたわけだが、三原じゅん子氏の「八紘一宇」発言もそういった流れから出てきたものだろう。
 
 それらの問題に真剣に取り組んで困るのは彼らである。
 是非とも真摯に、誠実に、直視しようではないか。

 戦前の日本の立場を擁護しようとする者に対し、西洋人はリヴィジョニスト[revisionist]とのレッテルを貼るが、この言葉はマルクス主義者が修正マルクス主義者を批判するときに使用した共産主義用語である。現在ではもっぱら、歴史修正主義者の意で用いられる。要するに安倍首相がそれであると彼らは警戒しているわけである。

 しかし、共産主義用語としてはともかく、「修正」という日本語の語感は、間違ったものを正すという意味で、何ら悪のイメージはない。
 相手の主張が事実と違うならそれを修正、訂正するのは当然である。その意味で私も修正主義者のひとりである。そして、多くの日本人はそれであろう。

 それをも日中友好、日韓友好のためにねじ曲げて受け入れよ、というなら、それこそがリヴィジョニストでなくてなんであろう。そもそも第二次大戦後の世界において、戦勝国こそリヴィジョニストの本家本元だった。英米とソ連のプロパガンダが戦後の世界を制した。

 中華人民共和国は日本の敗戦時には存在しなかった国家であった。
 中国共産党はコミンテルンの中国支部として、その指令で動いた組織であり、不倶戴天の敵である蒋介石率いる国民党を日本軍と戦わせて漁夫の利を得る戦略を実践したのであり、日本軍と戦ったわけではない。その証拠に、中華人民共和国成立後、毛沢東は、面会した日本の社会党員に対し、謝罪する必要はない、天下を取れたのは皇軍のおかげと述べたのである。
 それが抗日戦勝利七十周年とすり替えられているのだから、彼らこそリヴィジョニストである。
 また、戦後成立した朝鮮民主主義人民共和国もまたソ連の傀儡、韓国の李承晩はアメリカの傀儡であったからこれを糊塗する必要に迫られていたリヴィジョニスト集団であった。

 いわば、彼らは西洋列強の傀儡として日本人と敵対した勢力なのである。日本の歴史問題に関して彼らが歩調を合わせる要因はこんなところにあるのだ。元祖リヴィジョニストが定着した、いや、やっと定着させることに成功した歴史認識を修正させまいと、事実に基づく歴史認識を語るものにリヴィジョニストとのレッテルを張って悪魔化している、というのが、この国際問題の構図といっていい。
 泥棒!と大声で先に叫ぶ者こそ実は泥棒だった、というのに似ている。

 批判とはむしろ、単なる自己表現にとどまる場合が多い事を忘れるべきではない。
 頭を垂れて、謝っておけば済むと横着をせずに、真実を知り、批判を真摯に受け止めれば、むしろ相手をはかることも可能なのである。

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