西郷隆盛

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zoom RSS 侵略のスローガンではなかった「八紘一宇」  尾崎秀実の「八紘一宇」 (三)

<<   作成日時 : 2015/03/30 16:19   >>

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尾崎は言う。


「ところが日本が決然立って英米を敵とし、たちまちにして東亜の諸地域から英米の勢力を破砕し去るにいたって、日本の前述のごとき理想は現実性を顕し来り、従来の日本の宣言が驚くべき魅力をもって東亜十億の民衆に呼びかけこれを招くこととなったのであります。・・・(中略)・・・
 だが何よりも私にとって重大な意義ありと思われたものは、支那に対する同じ問題傾向の与えた影響であります。あんなにも深く食い込んでいた英国を先頭とする列強の勢力は、日本の軍事的実力によって一朝にしてくつがえされてしまったのであります。実に百年以来支那がこの目的のために多くの犠牲を払い、悪戦苦闘して遂に何等解決の望みを得なかったところであります。この一事のみをもってしても、大東亜戦争の支那民族解放問題に資するところの意義は絶大だということが出来るのであります。汪精衛政権の基礎は、ここに磐石の重みを加えたのであります。」



 ここで少し補足しておくと、当時の支那は軍閥が割拠して覇を競い合っていた。支那の民衆はこれら軍閥にとって兵の供給源であるとともに、搾取の対象でしかなかった。軍閥は民のことなど眼中になく、天下を取るために外国と手と結ぶことも辞さなかったのである。毛沢東率いる中国共産党がソ連の支援を受けているのは当然のことながら、蒋介石率いる国民党もまた、西洋列強の強力な支援を受けていた。
 上海事変はドイツ軍事顧問団の指導によって二十万の支那軍から仕掛けてきたものであったし(日本軍は五千以下)、首都南京を攻略されて以後も、英米の経済的支援を受けて、抗日は続けられてきたのである。

 だから、つぎのような発言になる。


「私にとってはまさに難中の難問と思われた、幣制の問題も英米の巨大の金融的勢力を打破することによって、始めて光明が与えられたように感ぜられたのであります。ここにいたって、民族的国家的に抗日戦を行いつつありとする重慶政権の立場は頗るみじめなものとなって来ました。支那には、元来華夷思想が根強く存在しております。英米にすがって日本と戦うということについては矛盾を感じているむきは少なからず存在しているわけであります。しかも、今や日本の主唱下に東亜諸国が新たなる一致団結をもって、世界に主導的な新時代を画そうとする時、支那の奥地の一部に拠って当てもなき泥沼のごとき戦争をあたかも英米の利益のために継続するかの観ある、蒋介石の立場は何等積極的意味を示し得ざるにいたったことであります。…」


 つまり、支那事変は英米との代理戦争という側面があったのであり、大東亜戦争の決起とはその本家本元に対する決起だったのである。
 それでも日本はアメリカの挑発に耐えて、英米との戦争を回避しようと努力した。

 日本に支那侵略の意図があったとはとんだ言いがかりだ。
 日本は侵略される側として、東亜の侵略者である英米を中心とする西洋列強と戦う過程で、その手先となっている支那の軍閥と戦ったのであって、支那の民衆を相手に戦ったのではない。

 そんなことは尾崎も知っていた。
 ただ彼は日本の伝統を、国体を信じることができないで、共産主義という当時流行の思想にかぶれたに過ぎない。

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