西郷隆盛

アクセスカウンタ

zoom RSS 尾崎秀実の「八紘一宇」 (一)

<<   作成日時 : 2015/03/24 16:34   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
「八紘一宇」という価値観を大切にしてきたと意外なことを告白した三原じゅん子氏と言えば、われわれの世代にとっては金八先生担任・三年B組の不良少女としてのイメージが強くこびりついていて、彼女のこの発言に関しては懐疑的にならざるを得ないのだが、金八先生の「贈る言葉」が効いたのであろうか。

 ところで、戦前の日本における不良中の不良の一人として尾崎秀実の「八紘一宇」を取り上げてみたい。

 尾崎秀実はソ連のスパイ組織コミンテルン配下のゾルゲ諜報団の一員として、対米開戦直前に逮捕され、戦時中に処刑された。
 彼らは近衛内閣に食い入って、スターリンの敗戦革命論に基づいて、支那事変の泥沼化、対米戦争へと国を誘導していった。それもこれも共産主義者にとっての祖国ソ連を帝国主義の脅威から守るという目的のためである。
 悪名高き治安維持法が、皇室廃滅を企む共産主義者の暴力的革命運動を取り締まることを目的とした法律だったことを考えると(だから戦後、左翼によって目の敵にされ、悪法のように宣伝された)、戦前の秩序における不良中の不良とする意味が分かるであろう。
 
 そんな彼が獄中で転向した。
 彼の思想の軽薄さを表すが、その転向文書を読むと、軽薄人には軽薄人なりの転向理由の自然さがあって、命惜しさの偽装転向とは言えないように思われる。もっとも、彼の死刑より日本の敗戦が早ければ、マッカーサーの慈悲により釈放された彼が再び転向した可能性も否定できないが、少なくとも初度の転向以前の思想に戻るということはなかったであろう。

 彼の主張は『尾崎秀実 ゾルゲ事件上申書』(岩波現代文庫)で読むことができる。

 彼に転向の契機を与えたのは、一つは家族との深いつながり、もう一つは、彼の逮捕後に勃発した大東亜戦争で、正しい戦争目的のもと、皇室を中心にして日本国民が示した一致団結が、国際共産主義者としての見地から彼が感じていた国際問題、特に彼が長年携わってきた支那の問題の解決に目覚しい成果を挙げつつあったからである。
 そこで彼は日本の国体という問題に逢着せざるを得なかった。

 国際共産主義バリバリの闘士であった彼を改心させたのが、日本の国体であり、その顕現であったというのが重要である。 

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
尾崎秀実の「八紘一宇」 (一) 西郷隆盛/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる